防災といのちの話

防災といのちの話

防災と、いのちの話

― 守るとは、どういうことだろう


防災という言葉を聞くと、
多くの人は「命を守ること」を思い浮かべます。


それは、間違いではありません。
けれど、「守る」とは、
単に危険から遠ざけることだけなのでしょうか。


いのちは、止めておけない

仏教では、
いのちは常に変わり続けるものだと考えます。


生まれ、育ち、老い、やがて終わる。
それは避けられない流れです。


だから仏教は、
「永遠に守る」ことを目標にはしません。
代わりに、
どう生き、どう向き合うかを問い続けてきました。


防災も、実は同じ問いを含んでいます。


防災は、いのちを“止める”ためではない

防災は、
災害を完全になくすことでも、
危険をゼロにすることでもありません。


防災が目指しているのは、
いのちの流れを、できるだけ途切れさせないことです。


食べること。
眠ること。
誰かと話すこと。
次の日を迎えること。


災害の中でも、
いのちが「生き続けようとする力」を
支えるための備え。


それが、防災の本質なのだと思います。


いのちは、一人では守れない

どれほど準備をしていても、
いのちは一人で守りきれるものではありません。


誰かの声。
誰かの手。
「大丈夫か」と言ってくれる存在。


災害時に本当に支えになるのは、
物と同じくらい、
人とのつながりです。


仏教が説いてきた「縁」とは、
こうした見えない支えを
言葉にしたものとも言えるでしょう。


備えることは、生き方を見つめること

備えを考えることは、
「自分は何を大切にして生きているのか」
を見つめ直すことでもあります。


誰と生きたいのか。
何を守りたいのか。
どんな日常を続けたいのか。


防災は、
単なる技術や知識ではなく、
いのちとの向き合い方そのものなのだと思います。


ソナエルprojectが大切にしていること

ソナエルprojectは、
防災を通して、
いのちを特別扱いしないことを大切にしています。


いま生きている、この暮らし。
今日の食事。
家族との会話。


それらを続けていくために、
少しだけ備える。


防災といのちの話は、
難しい話ではありません。
日常のすぐそばにある、
静かな問いなのだと思います。