

― 想いは、巡っていく
「回向(えこう)」という言葉を聞くと、
法要や読経の場面を思い浮かべる方が多いかもしれません。
一般には、
「功徳を故人に手向けること」
と説明されることが多い言葉です。
けれど、回向の本来の意味は、
何かを一方的に渡すことではありません。
回向とは、
自分の行いが、巡り巡って、
誰かの支えとなり、
やがて自分の生き方にも返ってくる。
そんな「めぐり」を表す言葉です。
仏教では、
回向は僧侶だけが行う特別な儀式ではありません。
誰かのことを思って手を合わせること。
日々の暮らしの中で、
「どうか無事でありますように」と願うこと。
それもまた、回向の一つです。
想いは、
形を変えながら、
人から人へと巡っていきます。
ソナエルprojectでは、
非常食を「お供え」として受け取ります。
それは、
非常食を寄付するためでも、
誰かのために我慢するためでもありません。
まずは、
自分や家族のいのちを守る備えとして、
自宅で保管し、
必要なときに使う。
そして、
余裕があるとき、
期限が近づいたとき、
誰かを思い出し、
次へと巡らせる。
そこには、
無理のない回向があります。
防災は、
自分の身を守るためのものです。
けれど、
防災が「自分だけのもの」になったとき、
続けることは難しくなります。
家族のため。
地域のため。
顔の見える誰かのため。
そうした思いが重なったとき、
備えは、暮らしの中に根づいていきます。
回向とは、
思いを広げること。
分け合うこと。
巡らせること。
ソナエルprojectは、
防災を通して、
この回向の考え方を
現代の暮らしの中に
そっと置いていきたいと考えています。
回向は、
過去のためだけのものではありません。
「いまをどう生きるか」
その姿勢そのものが、
未来への回向になります。
備えること。
分かち合うこと。
思い出すこと。
その一つひとつが、
誰かを支え、
やがて自分を支える。
回向とは、
静かで、やさしい慈悲の循環なのだと思います。